2014年



ーー−1/7−ーー ゼロ・グラビティ


 映画「ゼロ・グラビティ」。帰省した息子が、この映画は評判が良いので、ぜひ観に行こうと言った。とにかく宇宙空間での特撮シーンが凄く、ストーリー展開などはさておき、映像を見るだけでも十分に観る価値が有るという。年末も押し迫った27日、松本の映画館へ出掛け、3D版を観た。

 まさに評判通りの映画だった。登場人物はほとんど一人だけ。場所はラストシーンを除けば宇宙空間のみ。そういった点では、極めて地味な映画である。しかし、映像が素晴らしい。圧倒的な迫力と臨場感である。宇宙空間という、極めて異常な場所の、何とも言えない恐ろしさが、ひしひしと伝わってくる。

 地球上では、重力(地球による引力)が働いているから、拘束されていない物体は落下し、拘束されている物体は反力を受けてその位置に留まる。その反力が、重力として知覚される。一方、宇宙空間の軌道上を移動する物体は、引力と遠心力が釣り合っているので、お互いを拘束する力が働かない。これを無重力状態という。宇宙船の中で、飛行士がフワフワと浮いているのが、この状態である。

 軌道上の物体は無重力状態にあり、また空気抵抗が無いので、いったん放り出されたらどこまでも飛んで行く。また、いったん回転を始めたら、止まらない。宇宙空間とは、そのような世界なのである。宇宙船の船外活動をする飛行士にとって、命綱は自らを宇宙船に繋ぎ止める、最大限に重要なものである。もし命綱が無かったら、宇宙船をちょっと手で押しただけで、体は宇宙船から離れてどんどん遠ざかり、自力で戻る事は不可能である。

 映画の冒頭、宇宙デブリ(宇宙の人工的なゴミ)の衝突を受けて宇宙船が破壊され、命綱を失った飛行士が、クルクル回りながら宇宙空間に放り出されるシーンがあった。3D映像という事もあって、そのシーンはギョッとするほどリアルだった。観ている自分が眩暈を感じ、ちょっと気分が悪くなるような気がした。そのシーンの最中に、小さい子供を連れた男性が、席を立って劇場から出て行った。

 映画は一時間半ほどの長さだったが、まさに息をつかせぬ場面の連続で、見終わったらグッタリと疲れていた。それでも、見終わった印象は、単なる宇宙アクションものという感じではなかった。ラストでは、たった一人の生存者である女性飛行士が、無事に地上に帰り着く。めでたしめでたしという終わりだが、そのシーンが重く、実に印象深い。水中に落下したカプセルから脱出し、近くの岸に泳ぎ着く。波打ち際に這い上がり、横たわる。しばし後に立ち上がると、ヌメヌメした地面に手形が付き、足跡が付く。それは紛れも無く、地上に満ちている重力の証しである。人間の体をしっかりと支える、母なる地球の実感でもある。

 この映画の原題は「Gravity」、日本語に訳せば重力。ところが邦題はゼロ・グラビティ、つまり無重力。正反対の題名である。映画の大半の時間は、宇宙空間の無重力状態で占められているから、ゼロ・グラビティという題名でも違和感は無い。では何故、製作者は反対の題名を付けたのか。

 想像だが、製作者は、無重力の宇宙空間を舞台にすることで、普段は知覚することも無い重力というものを、描きたかったのではないか。それがラストシーンに象徴的に表現されている。シリアスに想像すれば、そういう事になろう。興行成績を上げるためのテクニックとして、意外性のある題名を付けたという見方もあるかも知れない。しかし、全編を通してスクリーンから伝わってくる深刻さは、そういう見方を軽すぎるものとして遠ざける。

 午前中の映画だったので、帰宅してから昼食を取った。食べながら、「ここが地上で良かった」という言葉が、思わず口から出た。




ーーー1/14−−− ブルックナーが好きになる

 
 私は若い頃からクラシック音楽が好きで、バロックから近代まで、幅広く聴き、楽しんできた。しかし、ブルックナーだけは好きではなかった、と言うより、嫌いだった。ブルックナーが作曲した交響曲のことである。どれも茫洋として掴みどころがなく、メリハリが無いように感じ、違和感を通り越して、嫌悪感すら抱いていた。

 ブルックナーを自分から聴くことは、二度と無いだろうと思っていた。ところが数年前に、友人がCDをプレゼントしてくれた。交響曲第8番と第9番である。先に述べた事情があるので、正直言って嬉しくも無く、有り難くも無かった。しかし、せっかく貰ったのだから、聴かなくては申し訳ないと思い、無理をして聴き始めた。何度か聴くうちに、気持ちが変わってきた。すっかり気に入ってしまったのである。

 今から思えば、「何度か聴いた」、という事実からすると、始めから気になる要素があったのだろう。貰ったCDでも、くれた人には申し訳ないが、一二度聞いただけでお蔵入りになるものもある。いくら耳馴染が良い曲でも、興味に乏しいと感じた物は、繰り返し聴くようにはならない。その点、くだんのCD、特に交響曲第8番は、様子が違っていた。繰り返し聴く忍耐力を支える何かがあったのである。もっとも、「気になる要素」というのは、熱烈なファンがいるというこの作曲家の、作品の魅力が何処にあるのかという、探究心だったのかも知れない。

 それ以来、ブルックナーの交響曲を好んで聴くようになった。嫌いというレッテルを最初に張った第四番も、今では心地良く聴く。他の交響曲も、聴いていて楽しいし、深い感動を覚える事もある。この年齢になって、新しい世界がまた一つ開けたような感じである。

 ブルックナーの作品は、ベートーヴェン、ブラームス、マーラーなど、他の交響曲の大家たちの曲とは、明らかに雰囲気が違う。極めて異質なのである。それ故に、好かれもし、また疎んぜられもするのだろう。その作風の違いを、考えてみた。

 例えてみれば、小説と詩集の違いである。小説には、ストーリーを追う面白さがあるが、詩には無い。しかし詩には、言葉の美しさを凝縮した魅力がある。

 サッカーとラグビーにも例えられようか。サッカーはルールが単純で、試合展開も分かり易い。ラグビーはルールがややこしい。ボールを後ろにしか投げられないという、屈折したルールもある。しかもボールが丸くない。しかし、両者を良く知るスポーツ関係者の口からは、競技としてはラグビーの方が面白いと聞いたことがある。

 さらに、将棋と囲碁の違いにも似ている。将棋は分かり易い。素人が見ても、勝負の状況を察することができる。囲碁は、素人から見れば、混沌の世界である。何を意図しているのか、さっぱり分からないような手で始まり、どちらが有利でどちらが不利か知れないような状況が続き、突然に終わりとなる。ところが、難解なだけに、囲碁の方が奥が深い。いまだに人がコンピューターに負けないのは、囲碁の方である。

 以上三つの例を出したが、どのケースも、引き合いに出した後者の方が、国内ではマイナーな存在である。しかしブルックナーに関しては、マーラーと並んで、近年国内でも人気のある作曲家らしい。ある西洋の音楽関係者が、「日本人にはマーラーやブルックナーは無理だと思う」と述べたらしいが、そんなこともないのである。




ーーー1/21−−− 二十歳の誕生日の思い出


 
今年も成人の日が過ぎた。私は、成人式に出席した記憶は無い。たぶん休みを利用して、スキーにでも行ってたのだろう。だが、二十歳の誕生日の事は覚えている。1973年3月26日のことである。

 その日、友人に誘われて、大菩薩峠へハイキングに出掛けた。夜は、峠から少し下った場所にある、富士見山荘という山小屋に泊まった。友人は、この山小屋の言わば常連だった。日帰りできる山にわざわざ一泊したのは、山登りよりむしろ、この小屋で一晩を過ごすことが目的だったからである。

 小屋は、主の親父さんと娘さんが、二人で営んでいた。娘さんは、私たちと同年代くらいだったか。その日、他には宿泊客がいなかったので、小屋番の部屋へ通された。狭い部屋の中は、雑然としていたが、くつろげる雰囲気だった。真ん中に炬燵があり、その中に足を突っ込んで温まった。三月下旬とは言え、山の上は寒い。この温かさは嬉しかった。そして、ちゃんちゃんこを着た父娘を相手に食事をし、酒を飲んだ。灯りはランプだったと思う。

 酔いが進むにつれて、話が弾み賑やかになった。親父さんご自慢の手品も飛び出した。酔った手でトランプをぶちまけたりして、滑稽な手品だったが、それがまた山小屋の夜の、しみじみとした楽しさだった。酔って小用のために屋外へ出ると、周囲の森の漆黒の闇が恐ろしいほどだった。夜空を見上げると、満天の星が浮き出るように見えた。それからまた、炬燵に戻って、ワイワイ騒ぎながら、食べて飲んだ。若さにまかせて、ずいぶん飲んだと思う。最後の方は覚えていない。

 翌日はどのように過ごしたか、記憶が定かで無い。おそらく山小屋の周囲で、ダラダラと時間を費やしたのだろう。立ち去り難い思いがあったのかも知れない。それでも、下山の事だけは覚えている。山小屋を後にしたのは、夕刻になってからだった。歩いているうちに暗くなり、ライトを持っていなかった私たちは、難渋した。真っ暗な森の中の、急な山道を、手探りのようにして、不安に脅えながら下って行った。




ーーー1/28−−− 展示会で経験したトラブル


  今年は、3回の展示会を予定している。展示会の有り方について、考えをまとめているうちに、8年ほど前の出来事を思い出した。

 神奈川県新百合ヶ丘のショッピングセンターの催事場で行った9日間の展示会。木工家具二人に竹細工とガラスの作家を加えた四人の合同展示会で、自分たちで企画、運営したものとしては、かつてない規模のものであった。場所が場所だけに、それなりの成果はあったが、期間中に不快な出来事もあった。

 その一。中年男性がやってきて、私に話しかけてきた。初めは何を言っているのかよく分からなかったが、そのうちにいちゃもんを付けたがっている事が理解された。「こんな家具は高すぎる。家具屋へ行けば、十分の一の値段で売っている」とか、「買ったって、死んでしまえば意味が無い。そんな金は、パッと楽しく使っちまった方が良い」などという事を、延々と述べ立てる。私は適当に切り上げようとも思ったが、近くに女性スタッフがおり、その人をトラブルに巻き込むといけないので、じっと話に付き合った。かれこれ1時間余り、その男の相手をしていたが、そのうちに同僚の木工家が「大竹さん、あちらに電話が入ってます」と助け船を出してくれた。私が居なくなると、その男は所在無げに、すぐに姿を消した。

 その二。これも中年男性。見るからに腹に一物ありそうな様子で近づいて来て、やにわに「イチョウの板を削ったことがあるか」などと切り出した。そして、偉そうに木工論を展開した。さらに、私が持ち込んだ作業台の板の端に、わずかな割れがあるのを指差し「こんな仕事じゃ使えない」と言った。私が、「これは自分が作業に使う道具だから、荒く作ってある。商品にはこのような事は一切無い」と反論すると、その気配に押されたのか、急にヘコヘコした態度になって立ち去った。その男性の持ち物から、その地の建具屋であったことが知れた。

 どちらも、出品者に悪口を言いたかっただけだと思われる。最初の男は、高額な商品に反感を持つ性格の人だったのだろう。しかし、画廊へ入って「絵が高い」と文句を言ったり、宝石店へ出向いて「こんなものは意味が無い」と捲し立てたりするのだろうか。そんな一貫性がある御仁には見えなかった。つまり、家具という身近なジャンルの品物が故に、甘く見られたのである。

 二番目の男は、腕自慢の職人なのだろう。同業者どうし、しょっちゅうこの手のなじりあいをしているのかも知れない。あるいは、親方からさんざん厳しくしごかれて育ったのか。それやこれやで、相手をけなすことによってしか、自らの存在感を確認できない性癖が形成したのかと想像する。極めてありがちな話であるが、そんなことでしか自分を満たすことが出来ないというのも、気の毒な話である。

 不特定多数の人々がやって来る展示会には、こういうトラブルは付き物である。子供連れの家族がやってきて、その子供が展示品を倒したり、引出しを抜いて床にぶちまけたりというトラブルもあった。大人でも、尻にファスナーが付いたズボン、あるいは背中に金属が付いたジャケットで椅子に座り、傷を付けたケースもある。ひどい人の場合は、金属のファスナーだらけのザックを背負ったまま座りそうになった事もあった。また、カメラをじかにテーブルの上に置く人などは多い。製作者がどれほどの思いで作品を作っているかを知れば、そのようなぞんざいな行為は控えるのだろうが、やはり認識されていないのが現状である。

 見知らぬ人を受け入れるイベントで無ければ、新しい出会いは無い。世間に身をさらすというのは、そういう事である。しかし、できれば筋の良い人々に来て欲しいと願ってしまう。虫の良いことだとは思うが、正直な気持ちである。間違えて入ってきてしまったような、無関心な人はまだ良い。失望はしても、害はない。それに対して、傍若無人な行動で主催者を戸惑わせたり、出展作品を傷付けるような来場者は、ご免を蒙りたい。

 作品が人を選ぶということもあるが、場所が人を選ぶという事もある。展示会の会場を探すということは、こういう事まで考えると、なかなか難しいものである。









→Topへもどる